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松山家庭裁判所 昭和38年(少)633号 決定 1963年7月15日

少年 I(昭二四・一一・一一生)

主文

この事件を愛媛県中央児童相談所長に送致する。愛媛県中央児童相談所長は、この少年に対し、その行動の自由を制限し、又はその自由を奪うような強制的措置のとれる教護院に入所させることができる。ただし、その期間は入所の日より二年間を超えてはならない。

理由

(刑罰法令に触れる行為)

少年は、一四歳に満たない者であるが、

第一、昭和三八年○月○日午後七時四〇分頃○○市△△町一二五番地○岡○助方前付近路上において、同所付近を通行中の○保○子(当時一一歳)の後姿を認め、同女にわいせつ行為をしようと考え、同女に追いつき「ちよつと来てや」といつて同町七四番地所在愛媛県立○○工業高等学校校庭に連れ込んだところ、逃げ出そうとしたので、その背後から左手をねじあげ、その口及び鼻を手でふさぐ等の暴行を加えて失神させたうえ、同校ボイラ室西側付近にひきずり込み、同女が着用していたズボン及びパンツを脱がせ、指でその陰部を弄び、乳付近を咬吸する等してわいせつ行為をし、よつて同女に対し処女膜裂創の傷害を負わせたのであるが、同女に顔を見られているので事件の発覚をおそれるの余り、同女を殺してしまおうと考え、両手でその頸部を扼圧し、さらにその付近の体育教官室南側校庭にひきずり込み、その顔面及び腹部にラストピース(コンクリート耐久試験片、重量一二・三キログラムを三回位投げつけ、よつてその頃同所で同女を窒息死に至らしめ、

第二  (1) 同年△月○日午後四時三〇分頃○○市○○町所在○○市立△△小学校五、六年生校舎西側校庭において、○内○み(当時一一歳)を認め、人気がないのに乗じ、同女にわいせつ行為をしようと考え、いきなり同女をその場に押し倒して馬乗りとなり、両手を押えつけ、その首付近に吸いつこうとする等の暴行を加えたが、二回に亘つて同女に咬みつかれたためその目的を遂げなかつた、

(2) 同年○月○日午後七時頃○○市××町六一九番地所在○村アパート前付近路上において、○橋○江(当時九歳)を認め、同女にわいせつ行為をしようと考え、その後方からいきなり同女に抱きついて絞めつけたが、同女が「お母ちやん」と大声をあげたためその目的を遂げなかつた、

第三  (1) 同年×月○日頃○○市△町○丁目五六番地○野○オ方において、同人所有の現金五、四〇〇円及び財布一個を窃取し、

(2) 同年△月○○日頃○○市××町六一九番地の二〇岡○昇方において、同人所有の現金、一、五〇〇円を窃取し、

たものであるが、上記第一の事実は刑法第一八一条第一七六条第一九九条、第二の各事実は同法第一七九条第一七六条、第三の各事実は同法第二三五条にそれぞれ触れる行為である。

(上記第一の行為を認めた理由)

一、証拠の標目

(1)  少年作成の昭和三八年○月一四日付書面

(2)  ○木○徳の警部補田中希信に対する申述書三通(同月一七日付申述書添付の図面一枚を含む)

(3)  ○木○徳の警部補菅坂稔に対する供述調書

(4)  ○木△子(二通)、○田○子(二通)、○内○悟、○立○美、○内○美、○崎○子、○崎○一、○田○鈴、○村○三、○保○夫、○友○三(添付図面二枚を含む)、○崎○則、○宮○代の司法警察員に対する各供述調書

(5)  司法警察員高山優作成の同年○月一九日付搜査状況報告書

(6)  愛媛県警部補田中希信作成の同年○月一二日付調査状況報告書

(7)  証人○原○一、同○本○典の当審判廷における各供述

(8)  鑑定人○原○一作成の鑑定書

(9)  技官○辺○一外二名作成の鑑定書

(10)  技師○丸○賢作成の同年○月二五日付鑑定結果報告書

(11)  昭和三八年○月八日一二時四〇分受信の電話聴取書

(12)  運動靴の写真一枚

(13)  司法警察員作成の実況見分調書三通

(14)  ○○警察署昭和三八年第二号○保○子被害殺人事件現場写真記録一冊

(15)  押収してある運動靴一足(昭和三八年押第一三九号の八)及ぶテストピース一個(同号の一六)

二、主な争点に対する判断

少年は、上記第一記載の行為(以下単に本件又は本件殺人事件ともいう。)について、警察署における調査及び当裁判所における観護措置決定の際における質問に対し、いずれもこれを自白していたものであるが、当裁判所の審判廷においてはこれを否認し、保護者及び附添人は少年の行為によるものであることを全面的に争うので、以下主要な点について特に判断する。

なお、本件につき一応少年の上記自白を除いて各証拠を検討してみると、少年の身辺からは本件を直接断定するに足る証拠は発見されておらず、他に犯行目撃者、現場に残された指紋、足跡、歯型、遺留品等直接少年を犯人と断定するに足る客観的な資料はないのである。したがつて、本件殺人事件の成否は、専ら少年の上記自白に任意性及び真実性があるかどうか、あるとすればその自白を補強するに足る証拠があるかどうかにかかつている。

(1)  自白の任意性

附添人は、少年作成の昭和三八年○月一四日付書面(自白)は少年の調査に当つた警察官が少年に暗示を与え、又少年はその調査に恐怖した結果自由意思を失つて書いたものであるから任意性がない旨主張するので、先ず少年が同書面を作成するに至つた経過を検討する。証人田中希信、同村上文男、同蓮沼守夫の当審判廷における各供述及び司法警察員村上文男外一名作成の昭和三八年○月八日付殺人事件搜査状況報告書、巡査部長蓮沼守夫外一名作成の同月一二日付触法少年Iに関する調査報告書、警部補田中希信作成の同日付調査状況報告書によると、○○警察署は同年○月一三日発覚した本件殺人事件を搜査中、上記第二の各被害事件が発生し、搜査の結果、少年がその容疑者として浮んできた。しかし少年は中学二年在学中のいわゆる刑事未成年者(触法少年)であつたので、その調査は学校の授業を考慮して日曜日に行なうこととし、右蓮沼守夫及び村上文男の両名は同年○月一二日午前一一時頃映画観覧中の少年を同署二階講堂に同行した。直ちに被害者二名を出頭させ少年に面通しさせたところ、犯人は少年に間違いないとの確認を得たので、上記蓮沼及び村上の両名が少年の調査に当つた結果、少年は涙を流しボソボソとそれらの犯行を認めはじめたが午後零時頃になつたので休憩し、昼食を与えたが欲しくないといつて食事をとらなかつた。上記両名は、午後一時頃より同署少年補導室で少年の調査に当つた結果、上記第二の各行為を自白したので午後二時三〇分頃から約二〇分休憩し、その間調査の結果を上司に報告した。そして上司と相談の結果犯行の手口等が本件に類似しているところから少年に対し本件殺人についても調査の必要を認め、同人らは少年に対し○鉄○○市駅裏にある学校名を尋ねたところ、隣接する学校名は知つていたのに○○工業高等学校(以下単に工業高校という)は行つたことがないから知らんと答え、その他二、三の質問に対しては殆んど答えなかつたが、同人らが「おじさんらは三ヵ月難儀(苦労)している大きな事件があるのじやが」と言うとソフアーに腰をかけていた少年の下半身が震えはじめそれが次第にがたがたと音を立てて震えるようになり異常な昂奮状態が認められた。そこで同人らはそのことを上司に報告しその後は田中希信警部補が一人で調査に当ることにした。同人は午後三時二〇分頃から同室で少年の調査に当り、上記第二の各行為について発問すると、少年はこれを自白したが本件について発問すると、少年は「知らんわい、知らんわい」といいながら前同様異常な昂奮状態がみられたので、同人は少年に対して気持を落付かせるよう説得し、身体の震える原因が若しかして悪いことをしているためであれば相手に謝れば心も安らむ、良心は誰にでもある、すまない気持があるのなら謝るのが人の道である等と説明すると、少年は午後三時五〇分頃突然立ち上つて両手を合わせ「○子ちやん許して下さい、こらえて下さい」といつたこと、その後も調査を続けたが、少年は本件殺人について断片的なことしか語らなかつたこと、そして夕食を与え午後八時頃まで調査し、少年を就寝させたところ、同日午後一一時頃になつて少年は目をさまし気持が落付いたと述べていたことの各事実が認められる。翌一三日は田中警部補が同署宿直室で少年の調査に当つたが、少年は質問に対し答えないので、少年に作文の形式で筆記させることにし、その用具を与えたが、その際田中警部補は少年に対し書き出しの二行及び最初の気持、やつた時の気持、帰つた時の気持の順序で書くようにといつたことが認められる。少年は同日本件について書面を作成したが字が読みにくいので翌一四日同室でこれを清書させ完成したものであること及び少年が同書面を作成していた間田中希信は同室で寝ころんでいたことが認められる。

少年は、当審判廷において上記書面中最初の書き出しの二行を除いては総て自己の意思に基いて書いたもので、誰からも教えてもらつたものではない旨述べ、なお被害者の足の方向が西に向いていたことは調査に当つた警察官が教えてくれたと述べているが、右書面中には被害者の足の方向について何ら触れられていないことが明らかである。

以上認定のような経過及び少年の当審判廷における供述並びに本件における一切の事情を考慮しても、少年作成の上記書面(自白)が任意性を欠くものとは到底考えられないから附添人の上記主張は採用できない。

次に証人村上文男の当審判廷における供述及び司法警察員作成の同年○月一五日付及び同月二〇日付実況見分調書二通、○木○徳の上記申述書三通によると、村上文男は同月一五日田中希信、山本刑事官と共に少年を連れ警察署の乗用車で犯行に至る経路を自動車内から指示させ、さらに工業高校付近ではこれから下車し、犯行の場所を指示させ、次いで自動車内から逃走の経路を指示させて実況見分をしているが、その実況見分は単に各地点を指示させたにとどまり距離の測定等はなされていないこと、田中希信はその翌一六日から一八日までの三日間は少年とその父親○木○徳同席のうえ、父親を通じて少年に対する調査及び実況見分がなされたことが認められ、これらの自白についても任意性を疑わしめるような事情は認められない。

(2)  自白の真実性

少年は、当審判廷においてその作成にかかる同年○月一四日付書面につき唯一言「嘘を書いたものである」と述べ、附添人は警察における自白は他の証拠による裏付けが乏しいし、その内容も不自然な点が多く、従つて真実性がない旨主張するので、自白(少年の自白は少年作成の上記書面、○木○徳の上記申述書三通、警部補田中希信作成の同年○月一二日付調査状況報告書に記載されているが)の主要な部分を要約し、他の証拠と比較しながらその真実性を検討する。

(イ) 自白によると、少年は同年○月○○日午後四時三〇分頃帰宅し、母親より二〇円貰い、△△中学校へ遊びに行くつもりで家を出た。○鉄□□駅付近の店(○○菓子店)で一〇円のチュインガム一個を買い、同中学校へ行き、一〇分位野球を見て、同校前付近の店(△文具店)で一〇円のグリコ一個を買い、△△神社の前を通つて鉄工所(□□製作所)付近の道路で女にいたずらをしようと考え、一〇分か一五分位待つたが女の人は来なかつた。待つていた時は暗くなつていた。それから○町フードセンター前付近に出て、その付近を西の方にあちこちしているうち、工業高校の西側の道路に出たが、××魚店前付近でその北方○井アパート前付近を出前箱を持つて通行していた被害者の後姿を発見した旨述べている。実況見分調書(同年□月一五日付及び同月二〇日付によると少年宅から上記経路を経て被害者を発見した地点付近までの距離は約三・三キロメートルあることが明らかである。証拠の標目記載の○田○子(二通)、○立○美、○内○美の各供述調書によると、被害者が○田○子方より出前箱を受取つて出たのが午後七時四〇分頃であり、少年が被害者を発見した場所は被害者の帰路にあたり、場所的には一致するが、そこに至るまでの時間的関係について、少年が家を出た時間が明確でないが、学校から帰宅した時間から考えると、少年が家を出たのは午後四時半過頃と思料され、少年は時計を持つておらず、また□□製作所付近で女を待つていた時暗くなつていたというのであるから、○○地方における当日の日没は午後五時四九分で真暗になるのは午後六時頃である(裁判所書記官作成の同年七月一〇日付電話聴取書)ことを考慮すると、□□製作所付近で既に午後六時頃になつていたことも考えられ、女を待つていた時間が果して一〇分か一五分であつたかどうかも疑わしいしさらに○町フードセンター付近の西の方をあちこちしていたとの供述のあること等から考え、現場に至る時間的関係が一致しないということだけで、この自白に真実性がないとは言いきれない。

(ロ) 自白によると、少年は被害者に追付き、工業高校の西門から連れ込んだが、その際門の扉は押したら開いた、門から五米位入ると被害者が逃げ出そうとしたので、後方から左手をねじあげ、手で口と鼻を押えたまま引きずつたら出前箱を落したと述べている。○友○三、○崎○則の司法警察員に対する各供述調書によると、工業高校の西門は当日午後一〇時頃まで施錠されていなかつたこと、同時刻頃少年の供述する地点付近に出前箱が倒れ、ニュームの鍋や洋食皿等がその箱から出て地面にころがつていたことが認められる。

(ハ) 自白によると、少年は被害者が失神した後その両足を持つて小さい煙突のある付近の校庭に引張り込み、そこでズボンを脱がそうとしたところ、その西側の家で戸を開くような音がし男と女の声がしたのでひやりとして再びその奥の大きな煙突の付近の校庭に引張つて行つた旨述べている。ところで○崎○子、○崎○一の司法警察員に対する各供述調書によると、同人らは少年の供述する家に住んでいるが、当日午後八時頃洗濯をするため玄関の戸を開閉し、がたんがたんと音をさせたこと及びその時同人らが口争いをしていたことが認められる。なお、少年は工業高校に三〇分位いたというのであるから、少年の供述と上記○崎両名の各供述とは時間的場所的に一致する。

(ニ) 自白によると、少年は大きな煙突のあるところで被害者のズボンとパンツを脱がせ、指で陰部を弄び、両乳の上付近と臍の付近を三回位かんだ後、両手で首を絞め、ズボンとパンツはその儘にし、その両足を引張つたり両脇をかかえたりして、体育教官室の西側に行つたところ、石の様なものにつまずき倒れそうになつたが、さらにその家の南側の校庭の方に引張つて行き、つまずいた丸い石の様なものを持つて来てそれを被害者の腹か胸付近に一回投げ顔にも二回位投げた、その石の様なものは直径一○糎で長さ三〇糎か四〇糎位(上記少年作成の書面では長さ五〇糎位)のものであつた、被害者をかんだのは古本屋の雑誌の中に男が女の乳付近をかんでいる絵があつたので思いついたものである、被害者とは性交はしていない旨述べている。証人○原○一の当審判廷における供述及び同人作成の鑑定書、実況見分調書(同年○月一五日付)によると、少年の自白する位置(校庭の大きな煙突付近)にズボンとパンツが存在していたこと、被害者の陰部からは精虫は発見されなかつたが、陰部の傷は陰茎の挿入か二指以上の挿入によるものとみられること、被害者の両乳の上付近に二個と右乳房下付近に一個のかみきずがあり、この傷の状況からすると健全な歯並の人によつてつけられたものと考えられること、陰部付近の皮下溢血はかみきずかどうか断定できないこと、被害者の死体付近にあつたテストピースは直径約一五糎長さ約三〇糎重さ一二・三キログラムであること、被害者の死因は扼圧による急性窒息死であることの各事実が認められる。

(ホ) 自白によると、少年は犯行当時工業高校内の犯行現場付近は薄暗かつたと述べている。○田○鈴、○村○三の司法警察員に対する各供述調書によると、犯行現場付近の校庭には繊維科校舎の西側及びボイラ室の東側にそれぞれ各一個の外灯があるが、当日午後七時一五分頃から午後七時五五分頃までの間はそれらの外灯は点灯されておらずその付近は暗かつたことが明らかである。

(ヘ) 自白によると、少年は犯行後○鉄○○市駅構内を横切つて帰つたが、その構内には同駅△△線の鉄橋を渡つて入り、車庫の前付近に××線を走つているような客車が停つていたので二輌程出ていた客車と客車の繋ぎ目の下をくぐり抜け、同構内の枕木の柵を乗り越えて帰つた旨述べ、保護者は調査の結果当日午後六時以降は少年が通行した構内には客車は停車していなかつた旨述べている。○内○悟の司法警察員に対する供述調書及び実況見分調書(同年□月二〇日付)によると、同年○月○○日午後八時一一分頃から同二三分頃までの間同駅構内車庫の南側にある車庫に添つた線路上に機関車一輌客車二輌が連結されて停車していたこと、その機関車と客車一輌のうち一米位が上記車庫の東側の線よりさらに東の方に出て停車していたことが認められる。(保護者の提出した○内○悟作成の証明書は一般人が同駅構内の通行禁止を無視して通行している線路上に車輌が停車していなかつたというものであつて同人の上記供述調書と矛盾するものではない。少年が柵を乗り越えて構内から出たのは一般人が通行している線路上ではない。)

(ト) 少年の自白によると、少年は犯行の翌日である○○日の朝運動靴を履こうとした際右足の運動靴の内側に血の様な赤い薄い色のものが付いていたが、その後雨が降つた頃までにわからなくなつた旨述べ、当審判廷においては運動靴に血が付いたことはない旨述べている。○木○子は当審判廷において押収された少年の運動靴は同年△月に買入れたものであつて同年○月頃には絶対に履いていない、少年の靴は大体三ヵ月に一度位買い与えている、少年が警察に同行された時はその直前買与えていた新しい運動靴を履かしていたものである旨供述しているが、押収してある白運動靴(昭和三八年押第一三九号の八)及びその靴の写真から考えると、その靴は古くてその一部がやぶけていることが明らかであるところからそれを同年△月に購入したものとは到底考えられず、むしろその靴が古くなりやぶけたので少年が警察に同行された直前頃新しい靴を買い与えたと見る方が自然であり靴の使用限度が三ヵ月位であるとすれば、○月頃右靴を履いていたことになる。そして証人○本○典の当審判廷における供述及び○辺○一外三名作成の鑑定書によると、押収された白運動靴の右足の内側から人血の付着が証明されたことが明らかである。

(チ) 自白によると、少年は被害者にテストピースを投げつけたのは、少年の胸付近まで持ちあげ、投げたものである旨述べている。証人○原○一の当審判廷における供述及び実況見分調書(同年○月一五日付)上記現場写真記録一冊によると、被害者の死体が発見された地点の北側にある体育教官室のコンクリート壁及びその南側のプラタナスの木にいずれも血痕の付着が認められ、その血痕付着の状態からすると、その血液は顔面に打撃が加えられた際口の中か鼻に溜つていた血が飛散したもので血管の破裂により血が飛散した状態とは考えられない。ところでテストピースの重量及びテストピースによる被害者の腹部の傷等から考えると、被害者の倒れているそばからこれをその体に投げたとみるのが自然である。そうすると、犯人のズボン等には飛散した血液が当然付着するはずであるが、少年が着用していたズボンはその後洗濯されていることが明らかである(○木○子の当審判廷における供述)から、鑑定の結果血液反応が出なかつたとしてもさして不合理でない。又保護者は現場に指紋が残されていないのは完全犯罪であつて少年のなしうる犯行としては不可解である旨述べるけれども、当日から翌○○日朝にかけて約二糎の積雪があつたことが上記証拠の標目記載の証拠によつて明らかであり、又テストピースがセメントにより造られたものであること等を考慮すると、テストピースから指紋が検出できなかつたから不可解であるとは言い切れない。

以上検討したように、少年の本件自白は客観的状況と符合し、特に殺害に至る手段方法、校庭の状況等については詳細かつ正確であり、これに加えて、少年は当裁判所における観護措置決定の際において、「警察や児童相談所等で誘導その他の方法で嘘のことを言わされているのであれば本当の事を言うように」と前置きしての質問に対しても本件を認めていたこと等を合わせ考えると、少年の本件自白は真実性ありと認める。

(3)  アリバイについて

証人○藤○子(少年の伯母)は、昭和三八年○月○○日同証人の夫○親が国立○○病院で胃の手術をしたが、その前日である○○日午後六時五〇分頃少年宅を訪れ、少年の母に手術の立会を依頼し、午後八時三〇分頃少年宅を出て帰つた。その間少年は家でその姉や弟達とさわいでいたし、少年の母が屋台にソバを取りに行き、これを持ち帰つて同証人がソバを食べる際少年の弟△一がソバを欲しがり、それを見た少年が「いやしいねや」といつたから、本件犯行時刻頃少年は在宅していて外出はしていない、なお少年の母親はソバを取りに行つた時を除いては同証人が帰るまで在宅していた旨供述し、証人○尾○勤(少年の叔父)は、同月○○日午後六時頃少年宅にテレビを見に行き、傘の形をしたチョコレート六個を買つてテレビを見ていた子供達に分け与え、一個残つたので、その夜少年方に来ていた○山○稔(少年の叔父)に同人の子供にやつてくれといつてこれを渡したが、少年にチョコレートを渡した際少年はベットの上にいて声をかけて渡したので少年が当日在宅していたことは間違いない、なお同証人は午後九時頃まで少年方にいたが、その間少年は外出していない旨述べ、証人○木○子(少年の姉)は、警察で供述調書をとられた際同月○○日少年が外出したと述べたのは、取調をした警察官に少年の帰宅が一回だけ遅かつたことがあると言つたら、それを○月○○日にされてしまつたものである、同年□月三〇日頃伯母○藤○子から○月○○日夜少年は在宅していたことをきき、警察で話したことは間違つており、その夜少年が在宅していたことを思い出したが、その夜の少年の言動は上記○藤及び○尾各証人の供述のとおりである旨述べている。ところで上記証拠の標目記載の○木○徳、○木○子(二通)の各供述調書によると、同人らが同年○月○○日を想起した根拠ははつきりしており、その記憶に基いて同日及びその翌○○日における少年の行動を詳細に供述しており、これらの供述と同人らの当審判廷における供述とを比較検討すると、警察における同人らの供述の方がより信用性があると認める。そして○木○徳、○木○子の警察における上記各供述に○藤○一(二通)○春○義の司法警察員に対する各供述調書(少年の母親は○月○○日午後七時頃から午後七時三〇分間までの間屋台で働いていたこと)を加え、上記各証人が少年の在宅していたことを想起するに至つた時期、○月○○日夜の屋台の忙しさ(○木○子の司法警察員に対する供述)、上記各証人と少年との身分関係その他本件に現われた一切の事情を合わせ考えると、少年が同年○月○○日午後六時頃から同午後九時頃までの間在宅し外出していなかつたとする上記各証人の証言部分はこれを信用することができない。したがつてアリバイについての主張は採用できない。

(4)  補強証拠について

附添人は、本件は少年の自白を裏付けるに足る補強証拠はない旨主張するが、既に上記主な争点に対する判断(2)で詳細に摘記した如く少年の本件自白を裏付け保障するに足る補強証拠は数多く存在することが明らかである。

(強制的措置の要否についての判断)

愛媛県中央児童相談所長の送致の理由の要旨は、少年は上記刑罰法令に触れる行為記載のような各非行を重ねており、少年の性格及び環境等に照らし、その行動の自由を制限し、又はその自由を奪うような強制的措置をとることができるよう許可を求めるため児童福祉法第二七条の二(少年法第六条第三項)により本件送致に及んだというにある。

そこで、少年に対し強制的措置の必要があるかどうかについて考えてみる。

(1)  少年の家庭

少年は、父○木○徳母○子の長男として生まれ、姉○子弟□一弟△一がある。父母は、昭和二八年頃から○○市内□高等学校前で夕刻から午前三時頃まで屋台飲食業を営んでいるが、共に子供の教育に熱心で、テレビ、ステレオ等を買与え、少年に対しては昭和三七年四月頃から同三八年○月六日頃までの間家庭教師をつけ、その指導に当らせたが、少年に学習意欲がないのでこれを断つた。しかし父母の教育熱心はやや物的な面に重点がおかれ、勉強を強制したことが考えられ、情操面の努力に欠けていたことが認められる。少年は、家庭において、父母及び姉弟らと親密な話合を殆んどしておらず、家族間の意志疎通が充分でない(これは少年の性格に起因するものと考えられる)。又夜間における少年及びその弟らに対する監護は姉△子(一五歳)がこれに当つている。

(2)  少年の知能及び性格

少年の知能は普通知(I・Q一〇七、新制田中B式)であるが、社会性が低いため、その利用度は充分でない。

少年の性格偏倚はかなり強い。少年は、(イ)無口、自閉的で緘黙に近い、動作は不活発で感性も沈滞し、意志疎通が充分でなく、無表情、無関心で集団生活では孤立的である。又相反する性格特徴がみられるところから分裂病質者の疑いがあり、(ロ)、思考は自己中心的で自愛性に富み、刺激に対する攻撃性が極めて強い、(ハ)、性的関心は強く、しかも健全な性知識に乏しいところから性的エネルギーは昇華されず、これが直接発現しやすい状態になつていること等が認められる。

(3)  少年の再非行性

少年は、上記性格(分裂病質者の疑い)から視野が狭く、非行に対する心理機制は不充分で、一つのことに集中すると周囲の事情に無関心となり、それに向つて突走る傾向がみられ、殊に性的関心が極めて強く、又罪悪感に乏しいところから、再非行の危険性は大である。

以上の諸点と少年の上記本件各非行とを綜合考慮すると、少年を更生させるための矯正教育には相当の困難を伴うことが予想され、最早任意に出入りのできる教護院では不充分であつて、強制的措置をとりうる教護院に収容し、その行動の自由を制限し、又はその自由を奪うのはやむを得ないと考える。そこで、この事件を愛媛県中央児童相談所長に送致し、同相談所長をして主文第二項記載の措置をとらせ、もつて少年の教護の万全を期するのが適切であると思料する。(なお少年に対する処遇上の指針については、昭和三八年六月一〇日付鑑別結果通知書中綜合所見欄記載のとおりである。)

よつて本件許可の申請を相当と認め、少年法第二三条第一項第一八条第二項少年審判規則第二三条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 山口茂一)

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